-*ひととせの夏、橋の夢*-

くろねこ 3000文字チャレンジ
くろねこ
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 ――リィー……ン

 ――リィ……ー……ン

 深い、深い、夜の闇。
 小さな川の上、真紅に塗られた橋。
 ゆっくりと西へ沈んでいく三日月は、橋のこちら側に。

 ――……リィーン……

 ――リィーン……

 遠く響いていた鈴の音が、徐々に、徐々にと近づいてくる。
 軽やかなその音は、一寸も違えることなく一定に。

 未だ少し蒸し暑い夏の夜。
 転がる鈴の音に、青年が、真っ赤な橋へと一歩を踏み出した。



 赤い欄干を軽く背もたれに、青年が空を見上げていた。
 黒い髪は、几帳面にぴっちりと整えられ、はみ出した前髪が少し垂れている。
 紺の浴衣を身に纏い、足元には下駄を、両手を互いの裾に入れ、寛いでいるように見える。

 どんッ……と腹に響く重低音。
 気の抜けた高い音の後、夜空に咲いた大輪の花が、すぐにパラパラと音を立てて散っていく。
 川面に映るその光もまた、同様に消えていく。

「あらぁ……」

 そうしてしばし夜空の花を眺めていると、しわがれた、けれど柔らかい老婆の声が耳に入った。
 ゆるりと視線をそちらへ向け、いかにも几帳面そうな顔の口元に、緩やかな弧が描かれる。

「……お久しぶりです」
「本当にねぇ」

 軽く頭を下げた青年に、しわくちゃの顔をほころばせ、老婆がころころと笑った。
 足が悪いのだろうか、少しよたつきながらも、しかしわずかに駆け寄るように体を前のめりにさせて、青年に近づいていく。

 青年はそんな様子にすぐに歩み寄り、手を伸ばし、彼女の細い体を支える。

「いやぁねえ……歳を取ると、走るのも、歩くのもつらくって」

 微笑みを絶やさずぼやく老婆の背を、軽くぽんっと叩き、鋭い目を更に細める。

「こればかりは、どうにも。けれど、変わりませんね、お前は」
「あら、そうかしら? あなただって、変わらないように見えるけれど」
「さぁ、それはどうでしょうか」

 静かに言葉を交わす彼らを、ぱっと一瞬、花火の光が照らす。
 すぐに暗くなり、また花火が上がって、強い光に二人が空を見上げた。

「……いやぁ、すごいですね。綺麗なものです」
「えぇ、本当に。あなたと一緒に見ることができて、とても嬉しいわ」

 細かにきらめく星々、満ち始めたばかりの細い三日月、幾度も花開く大輪。
 紺紫の着物を纏う老婆が、その景色を眺めつつ、手にしていた同色の――少し、薄汚れた巾着袋から何かを取り出した。

 ころ、と鈍い音が鳴る。

 耳を澄ませていなければ、おそらく気づくこともないその音に、青年がすぐに視線を向けた。

 しわが刻まれた老婆の手のひらに、巾着と同様に年月で汚れ、錆びついた鈴が転がる。
 細く黒い紐に繋がれ、つなぎの部分には、桃色を基調とした細かな花柄の布が結ばれている。
 蝶々結びにした布をきゅっと引っ張り、へたれたそれをわずかに正して紐を人差し指にかけ、持ち上げた。

「やはり、お持ちだったんですね」

 その鈴を、青年がどこか懐かしそうに、至極、嬉しそうな声で呟き、眉根を下げた。

「もちろんよ。あたしの、宝物だからねぇ」

 指先に引っ掛けた紐を揺らし、鈴が振れるも音は響かず、ころ、ころ、と小さく、鈍い音が鳴るばかり。
 けれど青年も、老婆も、美しかった頃の鈴の音が耳に届いているのか、その表情はひどく優しい。



 橋の下を流れる川、水の音が心地よく耳に届く。
 どんっ、どどッ……どどンッ……と連続して響く花火の音は、そろそろ終わりだという証。

 青年と老婆は目を細めて、夜空に散っていく花火を眺める。

 最後に、特大の花火が、上がった。
 空を覆い尽くさんばかりの光の粒が、ちりちりと音を立てて、川の水面へ落ちていく。

『今年の○○花火大会は終了いたしました。ゴミは持ち帰っていただき――……』

 少し遠くで、アナウンスが響く。
 それは、夏の花火が終わる合図。

 老婆はふぅ、と満足げなため息をひとつ零し、青年は花火が消えた夜空をただ眺める。

 月と、星の静かな光に照らされる彼の横顔に視線を向けて、老婆はくい、と裾を引いた。

「……どうしましたか?」
「いーえ?……横顔が、あまりにもきれいだから?」
「なんですか、それは」

 くすくすと零される小さな笑み。
 端正な、表情を崩さなければ冷たくも見える彼は、けれど今は優しく笑う。

「きれいだったわね」
「私が?」
「あなたも、花火も。……夜空も」
「そうですね。お前も、綺麗ですが」
「あら。……もっと昔に言ってほしかったわ」
「はは」

 言葉を交わす彼らが佇む橋、両側からはどこか遠くに聞こえる、人々の喧騒。

 花火が終わり、終いの時間。

 歩きゆく人々は、各々が帰る場所へと進んでいく。

 徐々に、少しずつ大きくなる喧騒と、増えゆく人々。

「……鈴」

 老婆が、静かに、小さな声でつぶやく。

 空を眺めている間、夜空の大輪を見上げている間、ずっと老婆の手の内にあった古びた鈴。
 乾いた手を開き、一度握って、再度開くと

「懐かしい、面差しです」

 美しく銀の色に光る、鈴がそこにあった。

 気づけば老婆だった手のひらは、若々しいそれへ。
 青年を見上げる彼女は――黒く長い髪を三つ編みに、それを肩に垂らした少女へと。

「良い夢を、見たわ」

 しわがれた声は、高く、けれど涼やかな声音に。

「そうですね。とても、良い夢でした」

 青年が、みずみずしく黒に染まる髪を撫ぜる。
 その手のひらにひどく心地よさそうに少女は目を閉じ、軽く頬をすりつけた。

 すりつく少女の頬を、髪と同じように青年がゆっくりと撫でてゆく。
 変わらず止まない人々の喧騒の中、橋の上は時が止まったように、まるでその場所だけを隔離している。

 満ち始めていた月は、気づけば満ち足りる寸前へと変わり――その色は、橋の色と同じく紅をたたえ、夜空に浮かぶ。
 不気味なほど美しく、大きく紅に輝く月の下、不思議と赤くは染まらない光の中、二人は佇んでいた。

「……お約束を、守れず。申し訳ございません」
「いいえ。こうして、あなたはここにいてくれた」

 撫でる手の動きを止めない彼に、少女は長いまつげを揺らして目を開く。
 薄く紅を引いた小さな唇は弧を描き、いくばくか潤む瞳は青年を映す。

「奇跡のような夢。……ただ、ただ、あなたはここにいてくれたことが、奇跡で。……とても、嬉しい」
「…………」

 ころころと、鈴の音のような可愛らしい声で少女が笑う。
 目尻には雫が浮かび、ツ……と頬を伝っていった。

 青年の手のひらに触れるはずの涙は、触れることなくそのままぱたりと橋へと落ちる。

 赤い橋に、かすかなシミができた。

「……ありがとう。でも、もうお逝きなさい」

 今度は少女が手を伸ばし、青年の頬を撫でるように動かす。
 実際には触れられずとも、彼のあたたかさが残っているような感覚に、彼女は嬉しそうに、寂しそうに眉を下げ微笑みを浮かべる。

「約束は果たされた。……あちらで待っていて?」
「……今度は、私がお前を待つ番ですね」
「そうよ。あなたほど、待たせはしないけれど」

 冗談交じりの言葉に、青年がくく、と喉を鳴らして笑う。

「……待っていますよ。私の、愛しい、――……」

 ――リィン……

 鈴の音が、ひとつ。
 主を失った布が、ひらひらと橋に落ちていく。

 今まで遠くに聞こえていた人々の喧騒、ざわめきが大きくなった。

「おばあちゃーん!」

 ずいぶん丸まってしまった背中を更に丸めて、その布を拾い上げた時、元気な子供の声が響いた。
 よいしょ、と背筋を少しでも伸ばそうと体を動かし、片手を振る。

 ゆっくりとそちらへと歩みを進め、ふと空を見上げた。

 細い三日月は、おそらくはゆっくりとあちら側へ沈んでいるのだろう。
 ひととせの夏、ほんの僅かな時間の逢瀬。

 踵を返して歩く老婆の背中。

 向こう側から、美しい鈴の音が、聞こえた気がした。

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こぼりたつやさん(@tatsuya_kobori)主催、おなじみになりつつある3000文字チャレンジです。

今回のお題は橋。橋。橋。

いやー、すでに複数の橋記事が上がってきていて、わくわくしながら眺めています。
人によって全然違うこと書いてるの、当たり前のはずなのに楽しいね。

というわけで、2月という時期に真夏の話を書いてしまいました。

いや、だってさ……橋だよ……?
橋って言ったらさ……

  • あの世とこの世
  • 交差点

なんかさ、こんな、イメージを……。
まぁ季節なんて関係ねー!!ってテンションで書きました。
ちょっと中だるみしやすいかな……どうかな……。

もうちょっと明るく小話するつもりだったのですが、ものの見事にしっとりとした感じに。

語ることもそんなないなー!って感じですので、おいとましましょう。

ではでは、また次回開催時に何か書けたらいいなー!

お題:3000文字月曜日
-*歩む道先、選ぶ朝*-

お題:3000文字おすすめ
-*【○○】のすゝめ*-

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コメント

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